国吉康雄 メイン州サウス・バーウィック リトグラフ 1934
作家名 国吉康雄 制作年 1934 技法 リトグラフ 絵サイズ 縦22.9X横32cm 絵の状態 良 好 額サイズ 縦59.2X横67.8cm 額の状態 若干傷有 サイン 国吉康雄鉛筆サイン 額の仕様 黒金額縁 マット 麻布マット 格安卸価格税込199,800円 注意書き:モニター発色の具合により色合いが異なる場合がございます。 国吉康雄年譜(1889-1953) 1889 9月1日岡山市中出石町に生まれる (現出石町1丁目) 1906 岡山県立工業学校(染繊科)を退学 カナダヴァンクーヴァー経由でアメリカ合 衆国に入国、シアトルで就労 1907 ロサンゼルスに移る 働きながらロサンゼルス美術学校夜間部に 通う 1910 飛行家を志すが断念、ニューヨークに移る 雑役労働に追われながらも美術学校を転々 とし、断続的に勉強を続ける 1914 インディペンデント・スクール・オブ・アー ツに入学 ヨーロッパ美術の新しい傾向に触れる 1916 アート・スチューデンツ・リーグに入学 恩師ケネス・ヘイズ・ミラー、終生の友とな る良き級友たちに巡り合う 1917 独立美術家協会第一回展に出品 前衛的な画家の集団ペンギンクラブに加 わる リーグより授業料免除の奨学金を得る 1918 ハミルトン・イースター・フィールドの招き でメイン州オグンクイットで制作 ブルックリンのアパートを与えられ、フィ ールドの援助を受けることになる ジュール・パスキンと出会う 1919 リーグの学友キャサリンシュミットと結婚 生計のため商業写真家(美術作品の撮影)と して働き始める 1920 リーグを退学 商業写真家として働きながら制作を続ける 1922 ニューヨークのダニエル画廊と契約 ウッドストックの出版社が国吉康雄の画集 を出版フィールド死去 1925 キャサリンと二人で、初めてヨーロッパに 旅行滞在期間10ヶ月の大半をパリで過ご し、新たな方向を模索 パスキンの助言でモデルを使った制作を試 みる 1928 制作上の行き詰まり打開のため、永住を決 意し再びパリに渡る 集中してリトグラフを制作 ニューヨークに戻る パリで制作したリトグラフ24点をダニエル 画廊で展示 1929 ウッドストックに家を建て、以後、そこで 夏を過ごす ニューヨーク近代美術館の「現存アメリカ 19人展」に選ばれる 1931 病床の父を見舞うため、25年ぶりに帰国 岡山、東京、大阪で個展を開くがあまり注 目されず軍国主義の台頭に驚く 1932 横浜出港、帰米の途につく。船中で父の訃 報を受ける キャサリンと離婚 美術家団体アン・アメリカングループの設 立に関わる ラジオ・シティ・ミュージック・ホール中 二階婦人化粧室の壁画を完成 1933 ダニエル画廊閉鎖に伴い、新たに契約を結 んだ ダウンタウン画廊で個展開催 母校リーグで教職に就く 画廊との契約もリーグでの仕事も生涯続く 母死亡、ただ一人の肉親を失い日本との絆 は切れる 1934 数多くの展覧会に出品 「第129回年次展」でテンプル・ゴールド メダル受賞 (ペンシルヴァニア・アカデミー・オブ・ザ・ ・ファイン・アーツ) ロサンゼルス・カウンティ美術館展で二等 賞受賞 1935 サラ・マゾと再婚 グッゲンハイム奨学金を得る サラを伴いアメリカ南西部とメキシコを スケッチ旅行 1936 ニュー・スクール・フォア・ソーシャル・リ サーチで教え始める 左翼系の美術家団体アメリカ美術家会議 に参加するが、まもなく退会 1937 ウッドストックのアトリエに暗室を設け 写真に熱中する 1939 アン・アメリカン・グループの会長に選出 (-44) ボルチモア美術館の「6人の現存アメリカ 作家展」に選ばれる ピッツバーグのカーネギー「第37回国 際絵画展」で二等賞受賞 1940 自伝的随筆「東から西へ」を「マガジン・オ ブ・アーツ」誌に寄稿 アメリカ北東部ニューイングランド地方 をスケッチ旅行 1941 アメリカ中西部をスケッチ旅行 日米開戦により、国吉康雄の法的身分は 外国人居住者から敵性外国人となる 1942 アメリカ合衆国戦時情報局の要請により 日本人向け短波放送の演説原稿を書く ダウンタウン画廊で回顧展を開き、入場 料を中国救済基金へ寄付する 1944 ペンシルヴァニアアカデミー「第139 回年次展」でヘンリー・シャイト記念賞 受賞 カーネギー「アメリカ合衆国絵画展」で 一等賞受賞 1945 「第56回アメリカ絵画年次展」でノーマ ン・ウェイト・ハリス青銅牌受賞 (アート・インスティテュート・オブ・ シカゴ) 1947 美術家組合の初代会長に選出され(-51) 1948 「ルック」誌が現代アメリカの10人の 画家に選出 ホイットニー美術館が現存画家としては 初めての回顧展を開催 シンシナティ美術館「アンアメリカンシ ョー」に6人の米人画家の一人として出展 1952 カルダー、ホッパーと共にヴェネチア・ ビエンナーレの アメリカ代表作家に選出 毎日新聞社主催「第一回日本国際美術展」 のアメリカ部門の作品を選考 戦後はじめてアメリカ現代美術を日本に 紹介 1953 5月14日胃癌のためニューヨークで逝去 享年63歳国吉康雄メイン州サウス・バーウィック 西アメリカ近代絵画の代表的作家の 一人として活躍した、国吉康雄雄