マリー ローランサン ディナ リトグラフ 1931年 限定125部
作家名 マリー・ローランサン 制作年 1931 技法 リトグラフ 絵サイズ 縦38.5X横27.5cm サイン ローランサン鉛筆サイン 絵の状態 僅かにシワ、退色有 限定 125部 額サイズ 縦69.2X横67.1cm 額の状態 ほぼ良好 額の仕様 金額縁 マット 麻布マット 格安卸価格税込118,800円 注意書き:モニター発色の具合により色合いが異なる場合がございます。 マリー ローランサン(1883-1955) 1883 パリで私生児として生まれる 1893 パリのリセ・ラマルティーヌ高校に入学 1902 女子師範学校の準備を止め、製陶所で磁器の絵 付けの講習に通う 1903 画商アンリ=ピエール・ロシェと出会う 1904 リセ・ラマルティーヌ卒業 画塾アカデミー・アンベールに入り、ジョルジ ュ・ブラックらと出会う 1905 ブラックを介して、モンマルトルにあったバト ー・ラヴォワール(洗濯船)でパブロ・ピカソ や詩人で美術評論家のギヨーム・アポリネール と知り合う 1907 ギョーム・アポリネールと恋に落ちる アンデパンダン展に初出品 1908 「狩りをするディアナ」製作 1909 「アポリネールとその友人達II」を発表 1910 「乙女たち」を描く 1911 ニコル・グルーと出会い、生涯の親友になる アポリネールがモナ・リザ盗難事件の容疑者 (無罪)として警察に拘留されている間に、 ローランサンのアポリネールへの恋愛感情も 覚め、訣別 1912 パリのバルバザンジュ画廊において初展覧会 「家具付きの貸家」製作 1913 母ポーリーヌ死去 ドイツ人画家オットーフォン・ヴェッチェンと 出会う 「読書する女」「アンドレ・グルー夫人ニコル」 製作 1914 ヴェッチェンと結婚し、スペインへ亡命 1916 バルセロナへ転居 アポリネールが戦争で負傷 1917 ピカビアの主催するダダの雑誌「39」に挿絵 を提供 1918 アポリネール死去 1920 デュッセルドルフへ転居 1921 パリへ転居 ロザンベール画廊での個展が成功する 1922 ヴェッチェンと離婚 1923 肖像画を描き始める ジャンコクトー台本の「牡鹿」舞台装置と衣装を 担当 1925 シュザンヌ・モローと同棲 1932 「パリ16区のアトリエ」にて教鞭をとる 1949 ポール・モイリアン書店にて「友人達の肖像展」 を開催 1951 「セーヌ川の顔」発行 1954 シュザンヌ・モローを養女にする 1955 パリにて心臓発作で死去 享年73歳マリー ローランサンディナ 濃く太いパステルカラーの簡潔で華やかな、繊細さと華や かさと官能性をあわせ持つ夢見るような少女像と いう独特の画風を作り上げたマリーローランサン