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バルテュス 跪く少女 リトグラフ 限定150部 1994年

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ギャラリーダッドアート


¥199,800

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 作家名 バルテュス  制作年 1994  技法 リトグラフ  絵サイズ 縦43.8X横64.2cm  絵の状態 良  好  サイン バルテュス鉛筆サイン  限定 150部  額サイズ 縦68.8X横87cm  額の状態 ほぼ良好  額の仕様 金装飾額縁  マット 白紙マット 格安卸価格税込199,800円 注意書き:モニター発色の具合により色合いが異なる場合がございます。 バルテュス(1908-2001) 1908にパリで生まれる。本名はバルタザール・ミシェル・ クロソウスキー・ド・ローラ (Balthasar Michel Klossowski de Rola) 父親はポーランド貴族で、母親はブレスラウ(ヴロツワフ) 生まれのユダヤ系ドイツ人。 また、実兄のピエール・クロソウスキーはマルキド・サドや フリードリヒ・ニーチェの研究者として著名な作家である。 ほとんど独学であったバルテュスは、ルーヴル美術館で古 典絵画の巨匠たちの作品を模写したが、なかでもピエロ・ デラ・フランチェスカの影響が大きいとされる。 古典を消化した、堅固な構成と繊細な描法でモニュメンタ ルな女性や少女像を多く描いたが、活動当初はシュルレア リスムや表現主義の全盛期であったため、作品の売り込み に苦労 したバルテュスは一時衝撃的な題材を描き、話題 集めに腐心した。 1937アントワネット ド ワットヴィル(Antoinette de Wat teville)と最初の結婚をし、息子スタニスラス・クロ ソウスキー・ド・ローラ(Stanislas Klossowski de Rola)を もうけるが、後に離婚。 しかし、この先妻とは生涯友人であり続けた。 スタニスラスは、後にバルテュスの作品集出版に当たって 執筆を担当している。 1962パリでの日本美術展の選定のために訪れた東京で、 当時20歳だった節子・クロソフスカ・ド・ローラと運命的 な出会いをする。 1967に結婚、節子夫人も画家であり、2人の間には1973に 誕生した娘春美(ハルミクロソフスカ=ド=ローラ、ジュ エリーデザイナー)がいる。 バルテュスの生前、本人の意志により夫人は基本的に和服 であった。 1964、作家で当時は文化大臣だったアンドレ・マルロー によって、ローマのヴィラ・メディチ(芸術のためのフラ ンス大使館の役割をもっていた)の館長に就任、文化交流 とともに館の再生にあたる。 晩年はスイス、ヴォー州、ペイダンオー地方のロシニエー ルにある歴史的な山荘「グランシャレー」に暮らした。 2001年2月18日死去、享年92歳、葬儀には大統領や首相 ほかボノやU2などのロックスターも出席した。 勝新太郎はバルテュスの山荘に招かれ、居合抜きや三味線 演奏を行な ったことがある(ドキュメンタリー映画『バルテュス』) 2019年5月13日、バルテュスがテレーズ・ブランシャール をモデルに描いた絵画の一枚『ベンチシート上のテレーズ』 がニューヨークのクリスティーズでオークションに出品さ れ、バルテュスの作品として過去最高額である1900万2500 ドル(約21億円)で落札された。バルテュス跪く少女 堅固な構図と重厚な画肌によって日常的な光景や少女像 を描き奇妙に官能的な白昼夢を現出させるバルテュス